belle époque

思ったこと考えたことを気ままに書いてます。長いので時間がある方のみ推奨です。@applebig3

歌集

三寒四温も終わりに近づき、ようやく春らしくなってきましたね。寒さに弱い自分としてはありがたい限りです。とは言いつつ、我が家のこたつはまだフル稼働中ですけどね。そういえば前回の記事でこのブログを始めて以来初めて画像を添付したんですが、添付された画像がまさかの現推し(松村沙友理)ではないという笑。最初が田村真佑ちゃんになるとは…。これは沙友理ちゃんに刺されかねないですね(白目)。まぁ松村推しの9割は浮気性だから大丈夫かな?笑。

 

 

さて、本題に入りましょう。4thアルバムのタイトルが発表されましたね。記事タイトルの通り今回の話題はアルバムタイトルについてです。僕はシングルでもアルバムでも、相当タイトルを重視するタイプの人間です。曲というのはもちろん歌詞やメロディーが大切ですが、「表題」とも言うようにタイトルというのは曲の顔そのもので大切な要素だと僕は考えます。なのでやはり顔は良くなくてはなりません。最優先事項はさすがにメロディー・歌詞の良さですが、タイトルがダメだと作品の良さに水を差すようなことになります。タイトルも作品の一部です。一ファンとしてこんなことを言うのはだいぶおこがましいと思いますが、乃木坂楽曲の制作陣にはタイトルも本気で考えてもらいたいと常々思ってます。曲は良いのにタイトルで損してる楽曲が乃木坂には正直いくつかあると思うので笑。タイトル解禁時の何これ感からの神曲パターンなんて何回見てきたことでしょうかね笑。文学的でこちらが唸るようなタイトルもあれば、なんじゃこれってずっこけるようなタイトルも多々見られますね。ほんと何なんでしょうね、この振り幅は笑。秋元Pの調子なんですかね。兎にも角にも、乃木坂のクリエイター陣が我々ヲタクが唸るようなタイトルを付けてくれることを今後も期待しています。

 

今回はアルバムタイトルについてなので、シングルについてはまたの機会に。アルバムタイトルについて僕の感想・考察を書いてみたいと思います。シングルと違い、アルバムタイトルの曲はありません。シングルタイトルのように曲があれば大体は歌詞などで意味が読み取れます。なのでアルバムタイトルはタイトルから連想する外ないのです。そこがむしろ興味深いと僕は思います。

 

・透明な色

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原点にして頂点。これぞ乃木坂の文学的タイトル。僕が大好きなタイトルの一つです。「色」というのは白にせよ黒にせよ、染まっていなくてもそこに確かに見えるものです。それを全く矛盾する意味合いの「透明な」で修飾することで様々な含みを持たせたのがさすがだなぁと思いました。おそらく「無色」という単語でも同じような意味にはなるんです。さすがにそんな無機質なタイトルにはしないでしょうけどね。でも無色という単語は「色が無い」、打ち消しで単語が成り立っているんです。それを「透明な色」とすることでただの打ち消しの単語ではなく「透明」という意味を持ち、「色」と並立していることがただならぬタイトルである所以です。

1stアルバムが出たのは10thシングルの後。乃木坂46として結成してから約3年、だいぶ遅いですね。ずっと自分達のグループの色を作ってきました。それでもその時は世間にまだまだ知られていなかったレベルです。この「透明な色」というタイトルはそんなような事が込められていると僕は感じました。タイトルを無機質に捉えれば「無色」。そのまま無色透明、見えない、世間からまだ見られていないという意味になります。ただ、これは僕の超深読みです笑。

で、もう一つは。AKBとは別のグループの色を形作ってきた乃木坂。その純真無垢なグループの色こそが「透明な色」です。あえてキャンパスの白などではない色。白という色以上に何物にも染まっていない色が「透明な色」です。つまりその先は白を含めた、何色にも染まる事が出来るんです。何者にもなることが出来るんです。まさに当時乃木坂46というグループの将来の無限大の可能性を表したタイトルです。本当に何回褒めちぎっても足りないくらいに秀逸なタイトルです。またこのタイトルがグループ背景と相まって2ndアルバムタイトルにも繋がっていくのが素晴らしいですね。

 

・それぞれの椅子

「透明な色」同様、グループ背景を基にしたタイトルだと思われます。これも当時のグループをよく表していてかなり好きです。僕個人の感覚ですが、乃木坂メンバーの外仕事が目に見えるように増え始めたのは2015年頃だと思ってます。専属モデルや舞台、バラエティなど乃木坂メンバーそれぞれの分野で活躍し、その間もグループとしての一体感を忘れなかった。2015年末、歓喜に満ちた紅白出場決定はこうした乃木坂メンバーそれぞれの努力があって、それがホームである乃木坂に還元されたからだと僕は思っています。そして、来たる2016年はグループの更なる飛躍の気運に溢れていました。年始のまいまい卒業発表こそ悲しかったですが、乃木坂メンバーは各方面で快進撃を見せつけ、数多くのファンをこの年獲得しました。その年に出たのがこの「それぞれの椅子」です。

「それぞれ」とまで言うので僕がイメージするのは1人掛けの椅子です。モデルや女優などの各分野(=椅子)で活躍する。グループ背景によく合っています。ここからは僕の深読みです。なにせタイトルに無いものを想像して付け加えているので妄想の域になります。椅子だけだとなんだか足りませんね。椅子とセットになるものといえばなんでしょうか。そう、机ですね。僕がイメージしたのは1つの大きな机です。テーブルでもいいでしょう。椅子はそれぞれにあるけど机は一つ。アイドル以外の各分野で活躍する。しかし、グループとしての一体感は忘れない。常にグループを想い、グループのために努力する。それぞれの椅子に座っているけど、その体は常に大きな机に向いている。これが乃木坂46というグループとそのメンバー達の献身性を最も表しているのではないのでしょうか。まぁあくまで僕の深読みですが、本当にこんな意味が込められていたらいいなぁという願いを込めて書いておきます笑。それとこの解釈が受け入れられて広まるといいなぁと願っておきます笑。

 

・生まれてから初めて見た夢

体言止めタイトル3連発のラストです。4thが体言止めでないので3連発で終わりですね(どうでもいい)。「夢」がメインなのでしょうけど、そこまでの装飾がやたら長いです笑。グループ背景とリンクしているのかは分かりませんが、僕が個人的に ん? と思ってしまったタイトルです。正直なところよく分からなかったです、これに関しては。この記事を書くに際して一晩寝ながら考えましたけど(真面目に)、起きても確信を持てる答えが出なかったです。いやぁ、自分の解釈力が足りないのかぁと思いました。なのでこじつけ要素多めになります笑。

まずここでの「夢」の解釈で意味が変わってきます。「生まれてから初めて見た」はそのまま「初めて見た」みたいな解釈でいいかと思います。日常でよく使う「夢」は2通り意味がありますね、寝てる時に見る夢と願望・目標としての夢。それぞれ「初めて見た」と合わせてみると、初めて見た夢=初体験・新世界 と 初めて見た夢=新しい目標 の2つの違った意味を持つタイトルになります。

改めて言いますがこじつけ要素強めです笑。そしてこの2つのタイトルは期生ごとに当てはまる意味が違うと考えます。まず、1期生2期生にとっては新世界・新しい乃木坂です。乃木坂結成から2期生加入までの期間はそこまで開いていません。1期生2期生一丸でここまで来たと僕は思っています。2016年は主力メンバーの卒業、3期生加入とグループに大きな変化があった年です。その翌年、リリースされたインフルエンサー橋本奈々未はもちろんおらず、曲調も今までになかったラテン調。まさに新時代の乃木坂です。それに続いて出されたのがこのアルバム。新時代に突入したグループを表すには妥当なタイトルではないのでしょうか。

そして3期生にとっては新しい目標の意が当てはまります。3期生はこれからのグループを担い、引っ張っていく存在です。誰がどう言おうと僕はそう思っています。グループ全体で目指す高みはまた他にあるけれど、3期生の活躍という項目はグループに現れた新たな目標だと考えます。このタイトルがそんな3期生へのエールであるのなら素敵だなと思っています。3rdアルバムは1〜3期生までが揃った初のアルバムです。各期生のそれぞれの背景が1つのタイトルに込められていたとしたら。僕の深読みです笑。

おそらく大方の考察としては結成から5年以上経ち、グループとしてだけでなく個人としての活躍もますます増え、その各分野での目標。それが「生まれてから初めて見た夢」というのが妥当なのかなと思います。僕の考察は深読み&こじつけなので笑。

 

・今が思い出になるまで

う〜〜ん!(唸っている) これは唸るタイトルでしたね。ただし文学的ということでではなく、タイトルが単純に心に突き刺さったからです笑。珍しくストレートな表現でしたね。今日という日は明日になってしまえば、昨日つまり過去の存在となってしまいます。私達は常に未来が過去になる瞬間を生きています。「今」というのはどんな範囲を指すのでしょうかね。この瞬間なのか、1分なのか、はたまた1日なのか、1つの季節なのか。時代を指す時だってありますね。でも、どんな範囲にせよそれはいずれ過去になります。楽しかった時間はすぐに過ぎ去り、思い出つまり過去のものとなります。このことをだいぶ直接的に表したタイトルなのではないのでしょうか。

僕が乃木坂を好きになったのは10thの頃でしたが、それで数多くの卒業を見てきました。2019年上半期でなぁちゃん、みさ先輩が抜け、1期生も気づけば残りわずかです。ずっと応援してきた方達はこの状況に寂しさと郷愁を感じているのではないのでしょうか。そして僕は「まで」という部分にそんな気持ちを感じました。この気持ちが卒業していく本人か、見送るメンバーか、それともファン一同のものかは分かりません。ただ、「まで」という表現は残り少ない時間、モラトリアムを惜しむような印象をうけます。「今が思い出になるまで」今のグループは移り変わり、卒業生は思い出になってしまいます。そうなってしまうまでの僅かな時間を大切に過ごそう、今を大切にするべきだというメッセージなのではないのでしょうか。

 

毎度長い記事ですみません笑。ここまで僕の深読みに付き合って下さった方ありがとうございます。何言ってるんだと笑われても構いません。僕個人がタイトルから読み取った意味は以上の通りです。同じ考えの人がいれば嬉しい限りです。では、この辺で。